私  の  家

 
 私の家は平成8年5月25日に引き渡しとなり、何もない家に布団を持ち込んでその日から住み始めました。
 木造合金メッキ鋼板葺3階建て5LDK物置ガレージ付きで、床面積はさておき、高さだけはあります。
 モデルタイプは 「木の城 樺’96」です。
 建設中に同じグレードの新モデル(うちの方がちょっとだけ装備いいけど)が「坪37万円」でのキャンペーン販売が始まり、その値段を聞いてフッ飛びました。 

私の家が「木の城」に決まるまで

   私はアレルギー体質で、5歳の頃から喘息(ゼンソク)の発作に悩まされ続けてきました。
 (ちなみに私は知る人ぞ知る「有珠優健学園」出身です。当時はゼンソク患者を対象としていました全寮制の小学校です。)
 高校の頃からはだんだん良くなりましたが、完治はせず、その後も季節の変わり目や疲労時には夜間に発作に襲われていました。特に25歳を過ぎた頃からはその頻度も高くなってきました。
 この間、健康に良いと言われた伊達市内で、コンクリート住宅、木造一軒家と住みましたが、改善はありませんでした。
 家族と共に以前から多くの方法で体質改善を進めてきましたが、住環境にも手を付けることを考えたのが住宅購入に踏み出したきっかけでした。
 
平成7年2月  この頃から、ドライブがてら目に付いた住宅展示場を片っ端から訪れる。
平成7年3月下旬  家族とのドライブがてらの住宅展示場めぐりの中で、初めて栗山町にある「木の城たいせつ」の本部「北海道21世紀の村」を訪れました。受け付けで記名して、この時に本社の社員に場内のモデルを案内してもらいました。
平成7年5月5日  家族とのドライブがてら再び栗山へ。この時は室蘭支店の営業の管理職の方がたまたま来ていたので、さらに詳しい説明を聞きました。
平成7年5月中旬  室蘭支店の若い営業の方が初めて私の家を訪れました。
 でも、この頃はまだ「木の城」には決めていませんでした。
平成7年6月  この頃から営業に送ってもらったり、ドライブで行ったりしながら、栗山でこの住宅の効果について調査を進めるようになります。
平成7年8月  私自身はこの頃から、健康に最も良いのは「木の城」だと考え始めました。
 しかし、外観のデザインが気に入らないと、家族は決めかねていました。
平成7年10月15日  健康優先ということで納得した家族を引き連れて、営業と共に栗山へ。
 概算の建設費算出のため初めて図面を引いてもらいました。
 でも、まだ決めたわけではありません。
平成7年10月下旬  突然本社の偉い方が自宅へ来訪。
 アポなしの来客に家族が憤慨し、話が一気に白紙になる。
平成7年11月中旬  他のメーカーのモデルを見るため、家族と札幌の大きな住宅展示場へ行き、一軒一軒回りました。
 しかし、最後に訪れた「木の城」のモデルハウスで、最も反対していた者の「この家が一番なじむ」との発言で、「木の城」で建てることに決定。
平成7年12月9日  家族と共に営業に連れられて栗山へ行きました。
 当時標準にはない1階玄関で設計するように依頼し、その場で引いてもらって図面決定。
平成7年12月10日  営業に連れられて栗山へ。
 図面は完成し、資金のやりとりについて話をしました。
 オプションの施工で工事費が増えました。まだ契約できません。
平成7年12月26日  営業に連れられて栗山へ。
 予算の都合もあり、契約時期延期を考え始めます。
平成8年1月15日  営業に連れられて家族とまたまた栗山へ。
 私の健康状態のこともあり、グレードを落としてもすぐに建てることにしました。
平成8年1月27日  またまた栗山へ。
 資金の流れについて詳細を決めました。
平成8年1月31日  家族と共に営業に連れられて栗山へ。
 予約金を渡して、ようやく「予約」手続完了です。
平成8年2月14日  家族と共に、営業に連れられていつもの栗山へ。
 今日はとうとう「契約」です。ハンコ押しまくり状態でした。
平成8年2月18日  家族と共に、営業に連れられていつもの栗山へ。
 今日は「見本決め」です。外壁やドア、ペチカ、インテリア、エクステリア、照明他、設置する仕様材料設備一切を選びました。
 栗山で行うことはこれで全て終わりました。
平成8年2月23日  いよいよ現地が動きます。
 「遺方(たてかた)立ち会い」で、建てる位置を決めて杭を打ちました。
 そして、地鎮祭を行い、くわ入れをしました。
平成8年3月23日  「基礎完了立会」で、1階の鉄筋コンクリートスラブの基礎の出来を確認しました。
平成8年4月16日  「中間立会」で、室内の梁と柱むき出しの状態で構造材の確認をしました。
平成8年5月21日  「完成立会」で、完成状況を確認し、調整点や装備の不足を指摘しました。
平成8年5月25日  とうとう待望の「引き渡し」です。ようやくカギを受け取りました。
 当初の引き渡しは5月19日の予定だったのですが、住宅金融公庫の手続のために若干遅れての完成です。
   私の場合、自分で納得するまで通ったことと、契約に至るまでに紆余曲折があったことから、結局完成までに17回も栗山に足を運んでしまいました。
 ちなみに、普通の方は5回くらいだそうですので、私の経過は極端な例であることをつけ加えさせていただきます。

私はこんな家に住んでます

 1階は、玄関、ガレージ、物置(土足です)が2カ所。(当時は2階玄関が標準)
 2階は、リビング、キッチン、和室、ピアノと本の部屋、トイレ、風呂。
 3階は、広い寝室、子供部屋が2部屋、狭い納戸、ちょっと広いゆったりトイレ。
 外観はどの方向から見ても、空から見ても、きれいな四角形です。
 土地が直角二等辺三角形なので、これ以上の床面積はとれませんでした。
 部屋数を取るために各部屋の面積は狭く、そのために収納場所さえも削りました。(収納スペースのないわが家では、最大の収納法は「余計なものは買わない」ことと割り切ってます。)
 家のど真ん中にペチカがあります。(その上は便利な物置に…)
 リビング、キッチン、洗面所、トイレはフローリング、他は全て冬暖かいじゅうたんです。(じゅうたんの方がほこりがたたず、ゼンソクには良いのです。)

 凝ったところは、トイレをちょっと広くしたところ、階段の吹き抜け空間を広くとったところです。
 他に、ほぼ全室でテレビ(使ってないけどBSのほかにCS2系統も可)と電話(アナログとISDNの両方)のコネクターを設置し、必要に応じてLANや光ファイバーの敷設にも対応できるようにしました。

 失敗したところは、収納スペースの数が少ない上に狭くしてしまったところ、ガレージを電動シャッターにしなかったところです。
 でも、これらの点は将来簡単にリフォームができるので、気にはしていません。

 ちなみに、設計を担当した方によりますと、わが家の図面が確定した直後に現在「木の城」で標準になっている1階玄関標準タイプの図面が社長から設計担当部署に出されたらしく、驚いたとのことでした。
 当時「木の城」は一軒一軒社長が図面を確認してOKを出していたので、ひょっとすると私の家が1階玄関の元になったかも…本当だったらちょっと嬉しい。
(うちは平成8年12月9日設計で、初の1階玄関標準モデル「白樺’97」発表は平成9年1月。わが家と同じ頃に完成した1階玄関標準モデル第2号の坪37万円「樺’97」のモデルハウスに至っては、わが家と間取りまでそっくりです。)

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